光照寺について


光照寺 > 光照寺について

歴史

鎌倉13人殿の一人、和田義盛氏の末裔。野州城主和田左衛門尉重盛の長男和田八郎光性が信州に落ち延び出家し、名を玄明と改めた。
1559年頃会津藩主芦名盛氏に召喚されこの会津の地に和田山光性寺を建立、後に1624年坂下町に光照寺を建立。以来17代目に当たる。
当寺院には鎌倉末期に制作されたとされる絹本着色光明本尊(県指定重要文化財)がある。
また昭和14年には本堂落成の折には東本願寺門主と智子裏方(昭和天皇の妹様)が訪れ、お手植えの松がある。

各種情報

 

寺院名 光照寺(こうしょうじ)
山号 摂取山(せっしゅざん)
住所
福島県河沼郡会津坂下町字茶屋町甲3911
電話番号
0242-83-2770

 

詳しいアクセスはこちらからどうぞ。

pagetop